月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年6月1日(水)

イザヤ37章 王の祈り

「わたしたちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください。」(イザヤ37:20)

 試練に見舞われると、私たちの心はさまざまなことを考えるかもしれません。自分が行ったことに対して罰があたったのではないか。それで、懲らしめられているのではないか、など。そのなかで私たちは真剣に祈ります。 どうかわたしの祈りに耳を傾けてください、あなたこそが真の神であることを知らせてください、と。

 万策尽きたときには祈るしかありません。たとえ、一国の王でさえも。人間の力や思いをはるかに越えて世界を導かれるお方に祈るのです。すると、自分勝手な思いは心から退き、神は必ずや依り頼む者を救ってくださるに違いないという平安が、心に宿ります。

 実際、すべてのことは神の計画にしたがって起こります。わたしが座っているのも立っているのも、出るのも入るのも、すべてをご存じであるお方が導かれます。祈りの答えがどうなるか。それは神ご自身がお決めになります。祈りとは、神を動かすことではなく、私たちの心がこの神の心に重ね合わされていくことです。

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