月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年8月1日(月)

列王下20章 しるしを求める信仰

「ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって主は約束なさったことを実現されることが分かります。影が十度進むか、十度戻るかです。」(列王下20:9)

 死に至る病を患ったヒゼキヤは、神に祈り、病の回復を懇願します。神は祈りを聞いて、寿命を15年延ばしてくださいました。ヒゼキヤについて、聖書は「主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した」(18章7節)と評します。

 ヒゼキヤの姿勢は、神にしるしを求めることを拒絶した父アハズとは大きく違うものでした。アハズは「神にしるしを求めよ」と言われましたが、「神を試すようなことはしない」と言って、求めませんでした(イザ7章10〜12節)。しかしヒゼキヤは、素直に神の求めに応じて奇跡の確証を求め、しかも困難な方を選びます(10節)。アハズのように、信仰的なことを言いながら、神に信頼して従わないことが不信仰なのです。

 神が祈りに応えてくださることは、今日、聖書を通して、もう十分に明らかにされています。ですから、神が祈りを聞いてくださるか否かを確かめるしるしは必要ありません。しかし、神が恵み深いお方であるということを、神は祈りを通して示してくださいます。

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