月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年12月15日(木)

ゼファニヤ3章 主に散らされた民が残りの者

「シオンよ、恐れるな
力なく手を垂れるな。
お前の主なる神はお前のただ中におられ
勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ
愛によってお前を新たにし
お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」(ゼファニヤ3:16-17)

 偶像を神と崇め、人間を神に奉るようになってしまった神の民には、正義も公義も見えません。人間を神に奉ることを避ける純真な人が、生活を脅かされます。偶像を神と崇めようとしない正しい人が、家を奪われ土地を追われます。そのような不正と反逆に満ちたエルサレムを、主なる神は暴虐の都と呼び、必ず地上はくまなく、主の熱情の火に焼き尽くされると、改めて警告なさいます。

 その一方で、神は救いのご計画を示されます。諸国に散らされた民を集め、主だけを礼拝する者たちが、ささげ物を携えて来るのです。苦しめられ、卑しめられた民が残りました。彼らは不正を行わず、偽りを語らず、養われて憩い、彼らを脅かす者はいないのです。

 主の御言葉に従って裁き(公義)を行い、それゆえに苦しめられる。神の恵みの業(正義)を求め、それゆえに卑しめられる。そのような境遇にある人びとにこそ、神の救いの計画が備えられています。主に散らされた受難の民が、残りの者として栄光に入れられるのです。

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