月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年12月20日(火)

マタイ1章(2) インマヌエル

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ1:22-23)

 ここには最高の約束があります。インマヌエル、「神は我々と共におられる」。私たちが主イエスを心から信じるなら、どのようなときも神は私たちと共におられます。イエスがこの世に来られた事実が、これを私たちに保証しています。

 家族も友人も、私たちにはありがたい存在です。しかし、人間には限界があります。常に彼らが目覚めていて、私たちと共にいることは不可能です。しかし、神は「まどろむことなく、眠ることもない」(詩121編4節)お方です。エジプト脱出の夜、神は「寝ずの番」(出12章42節)をして、ご自分の民から片時も離れず、共におられました。今も同じです。

 神は、信仰者が死を迎える時も共におられます。「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(詩23編4節)。死の向こう側でも、神は、御子を信じて歩んだ人と永遠に共におられます。インマヌエル、「神は我々と共におられる」。この時期、改めてこの最高の約束を深く心に刻みましょう。

コントローラ


スマートフォンの方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2011 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.