月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年2月24日(金)

ヨハネ20章 幸いの宣言

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)

 「幸いである」との主イエスの言葉は、山上の説教で重ねて語られた御言葉です。その同じ幸いが、ここでは「見ないのに信じる人」に語られています。

 復活の主イエスが最初に弟子たちに現れたときにいなかったトマスは、主に出会ったと語る仲間たちの言葉を信じることができませんでした。ですから、主の手の釘の跡、わき腹の傷を確認しなければ信じないと語ります。そのトマスに、復活の主イエスは翌週の日曜日に現れてくださいました。そして見ることにこだわっていた者に、見ないのに聞いて、信じる道があることを示されたのです。

 この後、主イエスは天に昇られます。主イエスを誰も見ることはできなくなります。しかし、復活の主との出会いこそ弟子たちを真の証人として立たせる根拠となるものです。使徒パウロも自分が復活の証人とされたことを繰り返し語ります(1コリ15章)。

 これらの聖書の言葉を聞くことで、私たちは信じる者とされます。そこに私たちの幸いがあります。

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