月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年3月28日(水)

エレミヤ8章 預言者の嘆き

わたしの頭が大水の源となり
わたしの目が涙の源となればよいのに。
そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう
娘なるわが民の倒れた者のために。(エレミヤ8:23)

 エレミヤはここで、背信の民のために泣き、嘆いています。彼自身もイスラエルの民のひとりでした。彼は当然、同胞が罪ゆえに滅びることを望まず、御言葉をもって警告し、悔い改めて神に立ち帰るように促し続けました。しかし、彼らは聞き入れようとしませんでした。その結果、もはや回避し得ない審判をその身に招くこととなったのです。

 ここでエレミヤが示しているのは、その民への怒りではなく、悲しみと苦悩です。彼は同胞の中に、悪しき力の支配によってすこやかな命の営みを奪い取られてしまう人間の悲しみを見ています。そして彼らと共に泣き、共に苦悩しています。エレミヤは、人間が人間であることの根源的な悲しみと悲惨に心を寄せることのできる人でした。

 この点で、彼はイエス・キリストをさし示しています。主イエスは十字架を前に、エルサレムのために深く嘆かれました。私たちの贖い主は、私たちの罪のために泣き、嘆いてくださるお方です。

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