月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年4月19日(木)

テトス3章 慈しみと愛とが現れた

わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、…忌み嫌われ、憎み合っていたのです。しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。(テトス3:3-5)

 「無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合って」いる人、それが私たちだったのだとパウロは告げます。救われるべくもない者、愛されるべくもない者、それが私たち人間なのだと。しかしそのような人間を救うために、神の慈しみと人間に対する愛を現すお方として、救い主イエス・キリストは来られました。

 「人間に対する愛」という言葉は、使徒言行録28章では「親切にしてくれた」(2節)と訳されています。確かに、人からの親切のなかにも、神の愛は宿っています。しかし、人の親切とは比較できないほどの深い人間愛が、主イエスに宿っています。ですから、私たちの行った業ではなく、御子を通して働かれる神を誇ります。

 キリストの教会は、今日も、世の荒波に打ちひしがれている人びとのために、自らに与えられた主イエスの愛を差し出すよう促されています。それが、神の憐れみによってたてられた者の務めです。

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