月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年7月18日(水)

エレミヤ34-35章 神を畏れる

この契約に加わった貴族と民は、それぞれ男女の奴隷を自由の身として去らせ、再び奴隷とはしないという定めに従って去らせた。しかしその後、彼らは態度を変え、いったん自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分とした。(エレミヤ34:10-11)

 エレミヤ書34〜38章はエルサレム陥落直前の出来事、39章以下は陥落後の出来事です。

 奴隷をたくさん所有していたユダの貴族たちは、バビロン軍がエルサレムを包囲し、奴隷たちに畑仕事をさせることができなくなると、奴隷たちに与える食料が惜しくなり、奴隷解放契約を認めました。しかし紀元前588年、ユダの援軍要請によってエジプト軍が北上して来ると、バビロン軍はこれを迎え討つために、エルサレムの包囲を解き「一時撤退(34章21節)します。すると貴族たちはたちまち心を変え、自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としました。

 何という神を畏れない無慈悲な行為でしょう。神はこれを見て怒られました。これに反し、レカブ人たちは先祖の戒めを忠実に守り続けてきました。神は、神への畏れを持たないユダの貴族たちの恐ろしい末路と、レカブ人たちの幸いな未来を告げられます。神は私たちの行動と心を見ておられます。信仰とは神を畏れることです。

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