月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年8月3日(金)

ルカ6章 自分では気付かない丸太

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。」(ルカ6:41-42)

 主イエスは、山を下りて平らな所にお立ちになり、弟子たちや群衆に向かって口を開き、教え始められました。マタイでは「山上の説教」と呼ばれるこの説教は、現実の生活での話題が多いことに気付きます。

 人は他人の行動が気になります。そして気になることを指摘することがあります。自分のことには気付かず、他人が同じことをすると注意します。主イエスは自分で気付かないものを「丸太」、相手が気付かないものを「おが屑」と表現しました。そして、「丸太」のような自分の欠点に気付かず、「おが屑」のような小さな相手の欠点を指摘する者に向かって、まず自分自身から反省するように語りました。

 この自分の「丸太」は、自ら取り除こうとしようものなら、自分自身が崩れてしまうほど根源的なものです。これは、主の贖いによってのみ、取り除かれるものです。「丸太」が取り除かれた赦しの恵みに生かされるなかで、お互いの「おが屑」と向き合って生きるのです。

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