月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年2月1日(金)

マタイ13章 毒麦のたとえ

「主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」(マタイ13:29-30)

 救い主が来られ、天の国(待ち望まれた救い)が到来したのに、社会と教会にはなお悪が残り、悲しみをもたらすのはなぜかを、主イエスは毒麦のたとえで語られました。

 悪人がどれほどいても、御国の子ら(信仰者)はすでに出現しています(38節)。天の国は確かに今、始まっています。

 毒麦(悪人)を社会と教会から除去するように神がお命じにならないのは、麦(信徒)に対する配慮からです(29節)。社会と教会が悪人を徹底して排除する苛烈な場となる時、聖化未完成の真の信徒も排除されかねません。純化を求めて性急な裁きをするべきではないのです。

 毒麦を排除しなくても、麦は育つ、と主は言われます(30節)。私たちは主イエスが命を捨てて蒔いてくださった種だからです。悪の存在に苛立たず、主の恵みのもとで必ず成長させていただけることを信じ、信仰の歩みを続けたいと思います。

 やがて終末の日に、主は悪を裁いて世界から絶ち、私たちは罪も悲しみも嘆きもない新しい世界で、永遠に生きるのです。

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