月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年4月17日(水)

エゼキエル7章 神の公平な審判

今や、わたしはお前に向かって憤りを注ぎ
お前に対して、わが怒りを注ぎ尽くす。
わたしは、お前の行いに従って裁き
忌まわしいすべてのことをお前に報いる。
わたしは慈しみの目を注がず
憐れみをかけることもしない。
お前の行いに応じてわたしは報いる。(エゼキエル7:8-9)

 神はエゼキエルを通して、イスラエルの「終わり」を繰り返し宣言します。それは、神の民とされる人々の中にある忌まわしい罪に、神が憤りと怒りを注ぎ尽くす審判のときです。このとき、神の諸々の特権を持つと誇る者でも、忌まわしい罪を悔いて神に立ち帰らないのであれば、「お前は必ず死ぬ」(33章14節)と切り捨てられます。

 終わりのときは近い、と神はこれまで以上に明言します。罪の審判のときは、確実に、しかも切迫していると。なぜなら人々が、神からの特権を盾にとって、罪から神への立ち帰りを軽く扱い続けるからです。

 この「終わり」の審判は、お前の行いに応じて下されると言われます。罪悪を行い続けても自分はアブラハムの末ゆえに、決して裁かれることはないとの高ぶりを切り捨てる宣告です。のちにパウロはこう言います。「神はおのおのの行いに従ってお報いになります。…神は人を分け隔てなさいません」(ロマ2章6〜11節)。私たちは今すぐ、罪を投げ捨て、神へ立ち帰るべきです。

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