月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年6月12日(水)

コヘレト3章 定められた時

わたしは知った
すべて神の業は永遠に不変であり
付け加えることも除くことも許されない、と。(コヘレト3:14)

 「日は昇り、日は沈み…どの川も、繰り返しその道程を流れる」という自然界の時間の流れを賢者は知っています(1章5、7節)。過去から未来へ、万物はただ時間の中を流れゆくのに過ぎず、そのこと自体に意味はない、と無神論者なら言うでしょう。しかし、コヘレトは言います。この世のすべての出来事には神の定めた時がある(1節)―時間とは神の御旨が実現してゆくプロセスです。

 人の支配の及ばない歴史の流れを辿れば、そこに一定の因果関係を見出すことができるかもしれません。けれども、いくら自分で過去を評価し未来を精確に割り出そうとしても、人には時を捉えることはできません。人の命の行方にしてもそうです。私はなぜ今の時代に生まれたのか。創造主である神だけがその時と意味を知っています。

 私たちは神の定めた時を生きています。死ぬ時もまた神がご存じです。その定められた時の中で起こった決定的な出来事がキリストの十字架と復活であることを思えば、時の定めを思うことは慰めです。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2013 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.