月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年7月17日(水)

エゼキエル44章 神を証しする

「彼らは嗣業を持たない。わたしが彼らの嗣業である。あなたたちはイスラエルにおいて彼らに財産を与えてはならない。わたしが彼らの財産である。」(エゼキエル44:28)

 神が再建された都とその神殿に帰ってこられました。捕囚中のイスラエルの民にとって、このエゼキエルの幻は、神からの福音だったことでしょう。神殿での祭儀の再開は、自分たちの罪が贖われ、神を礼拝する生活の回復を意味します。エゼキエルの幻は更に続きます。それは神殿に仕える祭司についてでした。

 レビ人が祭司の務めを担っていましたが、「心に割礼を受けず、体にも割礼を受けていないすべての外国人」(9節)を務めにつかせた理由で、祭儀を司ることを禁じられました。その中で、忠実に務めを守ったツァドクの子孫を、その任に当たらせます。神は仕える者たちに、イスラエルの民に聖と俗の区別を教えよと命じられました。

 罪赦され、救われた人が、神に向かって生きる時、神はその人に新しい生き方と使命を与えてくださいます。神を証しする務めです。

 「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」(ロマ6章11節)。

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