月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年9月7日(土)

2コリント4章 土の器のままでよい

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。(2コリント4:7)

 私たちは確かに「土の器」です。土の噐の特徴は、弱さと脆さです。創世記は人が土の塵から造られたと言っています(創2章7節)。このように聖書は、私たち人間の存在に弱さと脆さを見ています。

 しかし、パウロは、自らが土の器であると言った直後に驚くべきことを宣言します。「わたしたちは、四方から苦しめられても…失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(8、9節)。私たちが土の器であることを実感するのは、苦難の中です。苦難の中で土の器であることは恐ろしいことです。致命的とも言えます。しかし、パウロは苦難の中で土の器であっても大丈夫だというのです。

 何故でしょうか。「このような宝を土の器に納めています」とパウロは言います。決定的なことは、私たちが土の器であることではありません。私たちは土の器のままで良いのです。大切なことは、その中に宝を持っていることです。

 この宝に力があります。この宝は、あらゆる苦難と罪と死に打ち勝ちます。この宝こそ、イエス・キリストです。「主我を愛す。主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ」(讃美歌461番)。

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