パウロは、神の律法を持たず、生けるまことの神を礼拝できない異邦人が神の怒りの下にあることを説いた後(1章18節以下)、次に、律法を与えられ、神の民とされたユダヤ人について、実は彼らもまた異邦人と同罪である、と明言します。ユダヤ人は特別啓示である律法により、生けるまことの神を知らされていますから、異邦人のような偶像礼拝をしていないと自負しています。しかし、彼ら自身にあっては、その律法の水準に合致した信仰生活を実践している訳ではありません。律法を自己流に解釈し実践しているだけで、神に真に義とされるようなものではありません。すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。(ローマ2:9-10)