月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年12月23日(月)

マタイ1章 神の正しさ

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。(マタイ1:18-19)

 婚約者マリアの身ごもりを知らされたヨセフは思い悩みます。なぜなら、これは自分のあずかりしらぬ妊娠だったからです。もしも、律法に従ってマリアを訴えるならマリアは姦淫の女として処罰されてしまいます。悩んだ末に出した結論は、マリアとひそかに縁を切ることでした。

 そこへ天使があらわれます。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」(20節)。ヨセフはこれらの出来事が神のご計画によるものであることを知らされます。

 ヨセフは、ただ罪を裁くだけではなく、ひそかに縁を切ることにより自分としては精一杯の仕方で、人の過ちを愛によって被おうとしました。しかし、最善と思われる人間の正しさを超えて、神の正しさがここで明らかにされます。

 人間の罪を告発し裁くためではなく、人として生まれ、人の罪を負って処罰されるためにキリストはこの世にお生まれになりました。ここに神の正しさがあります。人の思いをはるかに超えた驚くべき神の恵みの御業、これがクリスマスの出来事です。

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