月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年3月9日(日)

詩編50編 罪を告発し、赦すゆえに神

「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。
イスラエルよ、わたしはお前を告発する。
わたしは神、わたしはお前の神。」(詩編50:7)

 この詩は、まるで裁判を行っているようです。1節から6節では、証人が呼び集められ、裁判官である神が裁きの座に着きます。7節では「イスラエルよ、わたしはお前を告発する」とあり、神がイスラエルの民を告発しています。いったいどのような罪が告発されているのでしょう。

 8節から15節では、イスラエルの民たちの礼拝に臨む心構えが責められています。一つは、いけにえを献げるとき、感謝や賛美の心が伴っていないというのです。まるで神が人間と同じように食べ物を必要としているかのような、そんな献げ方だと言われます。

 16節から22節では、口では神の掟や契約を唱えながらも、実際の生活では悪事に親しんでいるという指摘です。生ける神は、そのような罪を見過ごしにされません。

 しかし悔い改めて、感謝と賛美をもって主を礼拝し、道を正す人に主は救いを示されます。罪を告発し、赦すゆえにまことの神であると言えるのです。きょうの礼拝で、私たちは主の前に出て、罪を示されつつ赦しを受けるのです。

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