月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年3月18日(火)

エズラ9章 途方に暮れても

「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。先祖の時代から今日まで、わたしたちは大きな罪科の中にあります。」(エズラ9:6-7)

 エズラが直面したのは、途方に暮れるような現実でした。先に戻ってきた神の民が、神が決して交わってはいけないと命じておられた異教の民と結婚。皆の模範になるべき人たちが率先したので、他の多くの神の民がそれに倣っていました。

 この現実にエズラは茫然とします。そしてエズラは、ただ祈るしかありませんでした。祈りの中でエズラが告白するのは、神の民の罪深さです。先祖の時代から今日まで、その歴史は罪の歴史。バビロン捕囚となったのは、異教的な生き方に心をひかれ、真の神を後回しにしたからです。その罪を赦され、エルサレムに戻ることを許されたのに、その目的さえ忘れています。エズラの祈りには、お願いの言葉は一つもありません。ただ自分たちの罪を告白し、嘆くしかない祈りです。自分たちを正当化する理由が何一つない、神の民の現実です。

 けれども主イエスが、あの十字架の苦しみの中で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と祈っていてくださることに、限りない愛と憐れみを覚えたいと思います。

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