月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年8月1日(金)

使徒21章 主のご意志に従う信仰

そのとき、パウロは答えた。「…主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。(使徒21:13-14)

 信仰上の問題で周囲から理解を得られず、辛い思いを経験をしたことはありませんか。こうしたときに私たちは、神さまへの信仰が問われます。

 パウロは、エルサレムにおいて逮捕されることが預言されていました(11節)。しかしパウロは、捕らえられることばかりか死に渡されることすらも覚悟しています。パウロは別の箇所で、「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリ1章21節)とも語ります。

 神は人間を神にかたどって創造してくださいました。神は命の息を吹き入れてくださいました。人間とは、神を崇め礼拝し、キリストの十字架の贖いに結ばれて、初めて生きる者とされるのです。神との交わりのない人は、死にゆくのです。

 寄留者にすぎない私たちにとって、やがて滅びゆくこの世界は終の棲家ではありません。命の源である神との交わりを犠牲にして、この世との妥協はできません。

 私たちは、永遠の生命をお与えくださる神の御声に聞き従うとき、たとえ信仰が試されたとしても、喜んで生きることができます。

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