月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年8月14日(木)

エレミヤ26章 主の言葉に聞く謙虚さ

祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって言った。「この人の罪は死に当たります。彼は、あなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました。」(エレミヤ26:11)

 このまま主の言葉に聞き従わないならば、エルサレムの神殿さえも主によって破壊させられることを、エレミヤはまさに神殿の庭に立って語りました。その言葉を聞いた祭司と預言者は、彼を捕らえて訴え出ます。神殿の門では、高官たちが裁きの座に着いて、裁判が始まりました。

 祭司と預言者たちは、エレミヤを死刑にすべきだと訴えます。しかし、高官たちと民は「この人には死に当たる罪はない」(16節)と結論づけます。日ごろから主に仕えていたはずの祭司や預言者たちではなく、高官や一般の民のほうがエレミヤの語ったことを主の言葉であると見抜きました。

 キリストも、主に仕えていることを自負している祭司長や律法学者たちによって訴えられました。それに対して、異邦人であるピラトが「この男に何の罪も見いだせない」(ルカ23章4節)ことを見抜きました。

 自分がクリスチャンであるからといって、必ずしも御心を正しく知っているとは限りません。誰かが御言葉を通して、その誤りを指摘したならば、いつでも方向転換できる謙虚さを持ちましょう。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2014 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.