月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年8月30日(土)

フィリピ2章 喜びの信仰

更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。(フィリピ2:17-18)

 パウロは別の手紙で「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と書いています(ロマ12章1節)。彼は、信仰生活をこのように理解し、自分は何を献げるべきかを考えていました。ですが、獄中のパウロにとって、自分の殉教の血の他には献げるものが、何もなかったのです。

 処刑されたら、自分の生涯は無意味な失敗として消え去るのか。否、処刑される時に流す血を、フィリピの教会の人びとがいけにえを献げるその祭壇に注ぎかけることにより、その血はむしろフィリピ教会の人びとの信仰生活に役立つことができると、パウロは信じ、喜んだのです。

 人は、愛する者のためなら、苦難をも進んで受け、喜ぶものです。パウロはキリストのためなら何でもしたいと考えていました。いつの日か殉教するとしても、それはフィリピの兄姉の信仰に役立ち、キリストのために意味ある死とすることができるとパウロは信じ、故に喜んだのです。

 パウロはキリストをそれ程に愛していたのです。私たちも、パウロに倣う者にしていただこうではありませんか。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2014 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.