月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年9月17日(水)

エレミヤ44章 神が求められる真の畏れ

今日に至るまで、だれひとり悔いて、神を畏れようとはせず、またわたしがお前たちと父祖たちに授けた律法と掟に従って歩もうとはしなかった。(エレミヤ44:10)

 神の言葉を、いろいろな機会を通して聞いています。しかし、その御言葉が、まさに神が語られた言葉であることを、私たちはどれほど自覚しているでしょうか。私たちは、自分が苦しみの中に陥ると、神を呼び求めます。しかし、その苦しみから解放されると、神を忘れてしまいやすいのです。

 南ユダの人々は、神の言葉を、エレミヤを通して聞きながら、その御言葉に従おうとしませんでした。「従います」と誓いながら、その誓いどおりに歩もうとしなかったのです。

 主なる神は、そのように口では従うと言い、実際には従わない民の不信仰を明らかになさいます。だからこそここで「だれひとり悔いて、神を畏れようとは」しなかったと語られるのです。

 神は、私たちに律法と掟を与えてくださいました。しかし、それは自分たちの罪を知り、まことの救い主であられるお方を求めさせるためでした。私たちは、自分の罪を認め、信仰をもって、神を畏れ敬うことを御言葉から聞きたいと願います。

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