月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年10月3日(金)

エレミヤ52章 主の憐れみこそ希望

ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。彼は生きている間、死ぬ日まで毎日、日々の糧を常にバビロンの王から支給された。(エレミヤ52:33-34)

 私たちは、自分の過去を思い出すとき、かつての歩みがまことに、主なる神に対する罪に満ちていたことを認めないわけにはいきません。

 それは、ここに記されているヨヤキンについて考えるときに、さらに深くなります。ヨヤキンは、「八歳で王となり、三か月と十日間エルサレムで王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行った」(代下36章9節)と書かれています。8歳であっても、人は神に罪を犯す、ということを知るとき、私たちは恐れを覚えます。

 このヨヤキンは、バビロンに捕囚にされ、代わって兄弟のゼデキヤが王になりました。彼が、バビロン王に反旗をひるがえしたため、エルサレムは陥落することになります。

 しかし、三十七年後に、バビロン王エビル・メロダクは、ヨヤキンに情けをかけ、獄から出して、日々、王の食卓に着かせたのでした。このことは、主なる神の憐れみによることです。

 かつて罪の獄にいた私たちを、キリストは引き出して自由にしてくださいました。主の憐れみだけが、私たちの希望であることをきょう、心に留めましょう。

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