月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年1月3日(土)

ヘブライ1章 御子によって語られた神

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れで…大いなる方の右の座にお着きになりました。(ヘブライ1:1-3)

 わたしは23歳のころ、教会に通い始めました。「神はおられるのだろうか。おられるなら、どのような方か」という疑問を持ちつつ、日曜礼拝に通い続けました。礼拝で説教を聴き、自分でも聖書を読むようになりました。

 創世記を読むうちに、神の偉大さに触れました。アブラハムの人格に語りかける、人格そのものであられる神に触れました。出エジプト記を読むと、イスラエル共同体を救い出す、救い主としての神に触れました。イスラエルを脱出させる場面でも、神の偉大さ、全能の御力にも触れました。こうして、わたしは旧約聖書でご自身をイスラエルの民に自己紹介される神に心惹かれていきました。

 この偉大な神が、わたしと共におられ、この天地の造り主が、わたしの悲しみ、悩みに寄り添ってくださる、ということを、主イエスを知って、実感するようになりました。

 このように神は、御言葉によって、私たちの人生に働きかけ、ご自身を現してくださいます。そして、今、御言葉そのものである御子によって、ご自分がどのようなお方であられるかを、私たちにお示しくださっています。

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