月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年2月21日(土)

マタイ9章 収穫の主に願いなさい

そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:37-38)

 主イエスが町や村を残らず回って、福音宣教と愛の業をしておられたとき、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てている様子を深く憐れみ、そして弟子に命じた言葉が、きょうの聖句です。

 「収穫は多い」。主イエスの目にはいつも救いにあずかる人々のことが見えていたようです。それは、宣べ伝えている福音のすばらしさと、それによって救いあげてくださる神の御業を信じていたからにほかなりません。

 福音宣教によって救いあげてくださる神の御業は、具体的には働き手によってなされます。しかし、人を救うという収穫の御業の真の主体者は「主なる神」ご自身です。ですから、この神の手足となって働く、働き手もまた、収穫の主が「送ってくださる」ことによって存在しています。

 福音宣教を命じられているキリストの教会は、収穫のために働き手を送ってくださるように、神に祈らなければなりません。きょうの場面で主イエスは、群衆を見て深く憐れまれました。主イエスのこの憐れみ深さに触れることこそ、「収穫の主に願」うことの原動力であることを覚えながら、祈りましょう。

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