月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年2月26日(木)

ヨシュア24章 ほかの神々ではなく

ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた御業をことごとく体験した長老たちの存命中、イスラエルは主に仕えた。(ヨシュア24:31)

 「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。…この方こそ、わたしたちの神です」(16〜18節)。ヨシュアが世を去ろうとする直前に、民がした信仰の決意です。

 しかし、ヨシュアや主の御業を体験した長老たちの世代が去ると、この民の決意は、長続きしませんでした。「御業をことごとく体験した長老たちの存命中、イスラエルは主に仕えた」とある通りです。

 罪人にとって、「主を捨てて、ほかの神々に仕えること」は異常なことではなく、むしろ自然なことです。確かに、彼らは、主の救いを見ました。しかし、それでも、主を捨てて、ほかの神々に仕えたくなるのが、罪にとらえられた人間の現実です。

 主の大いなる御業を「体験」したことが、イスラエルの霊的資産です。ですから見たこと、聞いたことを、信仰によってしっかりと守り続けなくてはなりません。エジプトから導き上り、彼らの目の前で数々の大きな奇跡を行い、その行く先々で守ってくださった神を離れて、どのような幸いも、未来もないと知る信仰によって。

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