月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年5月17日(日)

詩編101編 主の御前に

わたしは家にあって
無垢な心をもって行き来します。
卑しいことを目の前に置かず

曲がった心を退け
悪を知ることはありません。(詩編101:2-4)

 この詩は、ダビデ王が神の箱をダビデの町に運び入れた時の歌とされています。主の臨在の象徴である神の箱を自分の町に迎え入れることは、ダビデのみならず、神の民すべてにとっても大きな喜びです。その後、捕囚からの帰還、神殿礼拝の回復というときにも歌われました。

 主なる神は真の王にしてすべてのものの支配者です。私たちは、家庭でも職場でも、いついかなる時も主なる神の御前に生きています。主の前に生きるとは、曲がった、よこしまな心を退け、すべての悪から遠ざかり、主の教えを喜びとして無垢な心で主を覚えることです。

 主は「隠れて友をそしる者を滅ぼし、傲慢な目、驕る心を持つ者を許」されません(5節)。主イエス・キリストは、「兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」と言われました(マタ5章22節)。

 主を愛し、主を畏れる者は、隣人に対しても憐れみの心と目を向けることができます。よき言葉を語り、たゆまず善を行います。主の御前に「曲がった心を退け」ようではありませんか。

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