月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年7月30日(木)

サムエル上4章 栄光が去ったときにも

兵士たちが陣営に戻ると、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」(サムエル上4:3)

 出エジプト以来、主なる神は「わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる」と言われ(出29章45節)、カナン地方の諸民族との戦いの前には、「彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主はあなたのただ中におられ、大いなる畏るべき神だからである」と、彼らを励ましておられました(申7章21節)。

 しかし今回ペリシテとの戦いに敗れた民は、神が自分たちの「ただ中」におられないことに気づきます。そこで自らを深く問い、敗北の原因が自分たちにあり、神の御前にへりくだって神の人サムエルからの御言葉を求めればよかったのです。けれども、彼らはまるで敗因は主なる神にあり、自分たちで運んでこなければ自ら来ることができない偶像の神のように扱ってしまいました。

 そのような民の「ただ中」に神がおられるはずもなく、戦いに勝てるはずもありません。大打撃を受け、神の箱をも奪われた人々が気づいたのは、神がおられないことと自らへの絶望でした。しかし、まさに自らへの絶望のそのところで、憐れみ深い神が生きて働かれることを知るのです。

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