月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年11月24日(火)

イザヤ47章 御名は万軍の主

わたしたちの贖い主、その御名は万軍の主
イスラエルの聖なる神。(イザヤ47:4)

 バビロンは一時、神の道具として用いられましたが、神の審判によって滅ぼされてしまいました。それは神の気まぐれではありません。神は審判によって神ご自身の正義を示しておられます。ほかでもない神ご自身が、正義をもってバビロンを裁かれたことは、言うまでもありません。

 けれども、ここでは審判者が誰であるのか、ということよりも、バビロンが滅びに至る原因と、その滅びが避けがたいものであることが強調されています(6節後半、7節)。バビロンが滅びた根本的な原因は、極めて高慢な態度によって、自分を神のように見なしていたことです(7、8節)。

 この章には二人の「わたし」が登場しますが、それはバビロンの罪を告発する神である「わたし」と、神の前に高慢にも「わたし」を豪語するバビロンです。一方は「その御名は万軍の主、イスラエルの聖なる神」と呼ばれるお方であり、もう一方は、このお方の前に傲慢な態度が打ち砕かれる罪人です。

 このバビロンの高慢さは、けっして他人事ではありません。人間にとって最も驕慢な態度は、神を信じないこと、そして自分の主として受け入れないことです。

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