月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年5月2日(月)

ヨブ24章 悪人が栄え、消え去らない

だが、そうなってはいないのだから
誰が、わたしをうそつきと呼び
わたしの言葉をむなしいものと
断じることができようか。(ヨブ24:25)

 エリファズに対するヨブの反論は、神の前でくりひろげられている悪人たちの悪行と、その被害者たちを神が御心に留めておられないかのように見える悲惨の描写です。

 ヨブは言います。「人は地境を移し、家畜の群れを奪って自分のものとし、みなしごのろばを連れ去り、やもめの牛を質草に取る」、「人殺しは夜明け前に起き、貧しい者、乏しい者を殺し、夜になれば盗みを働く」、「町では、死にゆく人々が呻き、刺し貫かれた人々があえいでいるが、神はその惨状に心を留めてくださらない」と。

 悪人の運命についてはこう教えられていました。「大水に遭えば彼はたちまち消え去る」、「権力者が力を振るい、成功したとしても、その人生は確かではない」、「安穏に生かされているようでも、その歩む道に目を注いでおられる方がある。だから、しばらくは栄えるが、消え去る」と。

 しかし、ヨブは「だが、そうなってはいないのだから、誰がわたしをうそつきと呼」ぶことができようか、と言います。このヨブの訴えは、苦難の中にある人間の共通の訴えではないでしょうか。

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