月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年5月4日(水)

ヨブ25章 愛のない正義の危うさ

どうして、人が神の前に正しくありえよう。
どうして、女から生まれた者が清くありえよう。(ヨブ25:4)

 悪人が栄える事実を語って神の正義を問うヨブに対して、ビルダドは否定することも説明することもできません。

 ビルダドはその問題に触れることをせず、神の偉大さによってヨブに答えようします。「恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ、天の最も高いところに平和を打ち立てられる」。神の支配は人の想いをはるかに超える。お前はそれを理解していない、と言いたいようです。

 「わたしの足はその方に従って歩み、その道を守って、離れたことはない」と語るヨブ(23章11節)。それに対してビルダドは、「どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう」、「まして人間は蛆虫、人の子は虫けらにすぎない」と言って、ヨブの無罪の確信を徹底的に打ち崩そうとします。

 ビルダドの言葉は間違ってはいません。むしろ正論です。しかし、このように正論を振りかざすことは、必死に自己弁護をするヨブを追いつめて、神との関係を壊してしまう危うさをもっています。愛のない正義ほど危ういものはありません。

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