月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年6月30日(木)

ヨハネ17章 栄光の時

イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」(ヨハネ17:1)

 主イエスは「時が来ました」と言われます。十字架の時です。罪人を救うために主イエスを十字架につけるという神の救いのご計画の完成する時です。この日まで主イエスは「わたしの時は、まだ来ていません」と、たびたび言われました。その時が来ていませんでしたから、敵の誰も主イエスを捕らえることはできませんでした。けれどもついにその時が来ました。神の御子が、罪を一度も犯されなかったお方が、私たち罪人の身代わりとして罪人の頭のように十字架につけられる。それも、偶然の時の流れではなく、神が計画なさり、主イエスが選び取られた時として。

 それを主イエスは「栄光」と言われます。御子の栄光であるだけでなく、父なる神の栄光であると。栄耀栄華を求めるのでなく、私たちのために貧しさの極みの十字架につくことこそ主イエスの栄光と。なんということでしょう。罪人であるこのわたしの救いが神の栄光であるとは。それほど私たちを愛していてくださるのです。私たちを愛して、このうえなく愛し抜かれた(13章1節)、その表れが十字架なのです。

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