月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年7月23日(土)

2コリント7章 御心に適った悲しみ

あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。(2コリント7:9-10)

 とかく私たちは、耳あたりのよい言葉に心を惹かれるかもしれません。しかし、聖化未完成の私たちが罪の指摘をされることは本当に大切です。荒れ野を旅した神の民のように罪を犯すことがあるからです。

 キリストに深く愛されている群れに、パウロは、涙を流して叱責の手紙を書きました。出した後も、受け取り手がどのように反応するのか、不安な思いでいっぱいでした。けれども、今は、喜んでいます。なぜなら、神の御前に悔い改めるという、すばらしい結果が生じたからです。不信仰に同情同意する友でなく、信仰への道を明らかにする友とされたいものです。

 罪を隠蔽し続けようとしたダビデに、神は鋭く罪を指摘する預言者ナタンを遣わされました。そのとき御心に適った真実の悔い改めがダビデに、恵みの中で、起こったのです(詩51編)。自己中心の中で犯す罪に悔い改めがなされなければ、悲しみが深まるばかりです。

 神の御心に適った悲しみがあります。赦しがたい罪を犯したとしても、そこで神に向かうなら、赦し、救い、喜びへと向かいます。

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