月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年1月10日(火)

ローマ7章 わたしはなんと惨めな人間

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。…わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。(ローマ7:24-25)

 わたしが大学生の時、倫理学のクラスは最初は100名ほどの受講者だったのですが、翌週には半分になり、ついに先生と一対一になりました。そのクラスの教科書はパスカルの『パンセ』でした。キリスト者ではない二人が『パンセ』を読んでいたのです。この随想録によく出てくる言葉が「悲惨」でした。わたしにはパスカルが言う「悲惨」の意味がよく分かりませんでした。

 キリスト教会に通うようになり、わたしは「そうか。パスカルが言う『悲惨』とは、つまり『罪の悲惨』のことだったのか」と、納得しました。

 生まれつき心の中に染みついている罪という自分ではどうすることもできないもの。この罪のゆえに人を傷つけ、自分をも傷つけてしまう。罪から逃れたいと思っても、生まれながらに心と体に染みついているので、どうすることもできない。罪を犯すまいと思えば思うほど、罪に支配されている自分と直面させられる。そんな私たちの告白がパウロと同じ告白でしょう。

 「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」。この嘆きから「だれがわたしを救ってくれるでしょう」という問いが生まれてくるのです。

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