月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年2月1日(水)

エゼキエル18章 身代わりになることができる方

「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。」(エゼキエル18:20)

 地震や津波で若い命が失われたとき、助かった年配者は、「代われるものなら代わってやりたい」とつらい思いになります。ましてそれが家族なら、孫をなくした祖父母は、心底、そのような気持ちになるでしょう。しかし、人は誰も人の身代わりにはなれないことを痛感します。ですから、本当に身代わりになることができるなら、それは本当にすごいことで、神にしかできないことだと思わされます。

 きょうの聖書箇所は、人は自分の罪を背負うのみで、誰も他人の罪の身代わりにはならないと断言しています。それゆえ、神は「単なる被造物」ではないイエス・キリストを、人の罪の身代わりとされました。旧約時代の動物のいけにえは、本当のいけにえイエス・キリストのモデルだったのです。

 神の子にして人となられたイエス・キリストだけが、本当に身代わりになることができる唯一の方です。この方は命を捨てることもできれば、再び命を受けることもできる方です。今、復活して生きておられるキリストは身代わりを体験して、私たちの血肉が持っている罪の弱さを思いやることができるお方なのです。

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