月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年4月18日(火)

イザヤ53章 キリストの葬り

彼は不法を働かず
その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ
富める者と共に葬られた。(イザヤ53:9)

 死ぬことが本来ない神の子が、死なれました。これは大事件です。死は悲しい、信じられない、衝撃的な出来事です。死去じたい受け止めにくい出来事ですが、葬儀ということをもって完全な死別の確定となるのです。

 私たちが死ぬ時、永遠の御国の命が与えられている確信ほど大きな慰めはありません。復活は自分が本当に死ぬという実感と裏表の関係だ、とわたしは思います。生と死との関係は、イエス・キリストの十字架を見るほかありません。神の子がこの世に遣わされたということは、まさに私たちの生を生きてくださったからにほかなりません。そして葬られ、一切の弁解もなく完全に死なれたのです。

 このことは、神が天上からがんばれと私たちを励まされたのではなく、神である御子がこの世においでくださり、私たち人間の死と生の事実を経験してくださったことを意味します。私たちの死を実感するためには、「神に逆らう者と共に」つまり罪深い私たちと同じ姿をとってくださり、現実の死として「富める者と共に葬られた」のです。これこそ、真の愛にほかなりません。

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