月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年4月22日(土)

ヘブライ5章 試みの中にあるキリスト者の幸い

キリストは、…激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。…そして、…神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。(ヘブライ5:7-10)

 キリストのご受難と死を通して私たちに示されることは、全くの恵み以外にありません。御子が私たちと同じ肉を取り、人としてお生まれになったということは、私たちの弱さや悲しみを共有されるということのほかありませんでした。

 十字架の前の苦しみは、このお方が「激しい叫び声をあげ、涙を流し」たことからも分かります。それはすべて私たちが負うべき苦しみであり、死でありました。このすべてをご存じのお方が私たちの大祭司となってくださったということは小さいことではありません。大祭司。この職務はわが国の歴史の中にありませんのでピンと来ないかもしれません。旧約聖書の中でこの役割は、神殿において神の御前で人びとの罪の贖いとなるいけにえの動物をささげて執り成す、というものです。

 毎年ささげ続けなければならない犠牲を、御子はご自身の身体をもって、一度神にささげられました。それゆえに、主イエスを神の御子と信じるだけで、神は私たちに御子と等しい永遠の命を与えてくださるのです。この驚くべき恵みは、主イエスのゆえに、私たちが試みの中にあっても、揺るがない完全な約束です。

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