月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年4月28日(金)

1コリント15章 罪からの自由

死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。(1コリント15:16-17)

 コリントの教会には、主イエスの復活を信じきれない人たちが存在したようです。私たちもまた、復活ということを身近に感じられないような気がする時があるかもしれません。それに対してパウロは、復活とはそもそも私たちに何をもたらしたのかと問いかけています。それにどう答えるかが、私たちの信仰それ自体の価値あるいは意味を左右します。

 パウロははっきりといいます。もし、ただ「かつて主イエスというすばらしい人がいてくださった、ということだけに望みをかけているのであればそれは惨めなことだ」と(1コリ15章19節参照)。なぜなら、もしそうであれば、きょうのところにあるとおり、私たちは未だに罪の中にあることになるからです。

 パウロがいうところの「罪の中にある」とは、私たちが神と敵対し、神の民ではないということです。しかし、主イエスは十字架の死で私たちの罪を贖い、そればかりではなく、復活によって、神の御前で生きる新しい生き方の道をも開いてくださいました。それゆえ私たちはきょうも罪の人ではなく、神の民として歩むのです。

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