月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年5月23日(火)

エフェソ1章 聖なる者

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(エフェソ1:4)

 教会に通っている人たち、いわゆるクリスチャンのことを「聖徒」と呼びます。つまり、「聖なる者」です。教会は、聖徒の交わり、聖なる者の共同体です。しかし、その実態は、決して、聖いと呼べるようなものではありません。クリスチャンを名乗ることを恥ずかしいと思うほどに俗なるもの、汚れたものであることを思わされます。

 かつて、コリントにある教会も、その点でさまざまな問題を抱えていました。分派争いや道徳的、倫理的な乱れ、礼拝の秩序そのものが保てなくなるほどの、およそ教会と呼ぶに値しない状態でした。しかしパウロは、このようなコリント教会への手紙の冒頭に「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と挨拶文を送っています。

 「聖」とは、神の所有物となるということです。キリストの十字架の贖いの恵みによって、罪赦されて、神の所有物となったので、コリント教会は聖徒であり、聖なる者とされた人々なのです。罪人の頭であった私たちも世の人から選び分かたれて神のものにされた、その一点において「聖なる者」と呼ばれるのです。

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