主イエスは「成し遂げられた」と言って息を引き取られました。この言葉を語られる直前、主イエスは十字架の上で、「渇く」と言われました。それは、わたしは干上がったという言葉です。なぜか?それは、注ぎ切ったからです。泉のように主イエスの内側に潤っていた命の水は、十字架の上で注ぎ切られ、主イエスはカラカラになられました。その命の水の、最後の一滴が注ぎ切られたという完了の合図が、「成し遂げられた」という言葉だったのです。では、その主イエスの命の潤いは、どこに向かって注ぎ切られたのでしょうか?イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19:30)