月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年8月25日(金)

マタイ10章 自分の十字架を担って

「また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」(マタイ10:38-39)

 わたしは、かつて三浦綾子原作『塩狩峠』の映画を観、大きな衝撃を受けました。人が友のために命を捨てる、これよりも大きな愛はない、ということが主題でした。長野政雄というキリスト者が暴走する列車の下敷きとなり乗客の命を救った実話に基づいた作品です。後に小説も読み、より大きな感銘を受けました。それはまだ求道中であったわたしに受洗を決意させる契機となりました。

 あれから40年が経とうとしています。この御言葉の前に立つと、自分というものがどれほど捨てられないのか、また神の栄光を求めるよりも自分の楽しみや思いを優先しているのかを突きつけられます。長崎西坂の26聖人の中で、最年少のルドビコ茨木(12歳)が棄教を懇願する両親に対して「この世の命とあの世の命とを取り替えられませぬ」と証言し賛美しながら天に召された逸話は、いつもわたしに問いかけるものです。

 この二つのことをとおして、上記の御言葉をずっと考えさせられています。そのままに求められるなら、わたしは確実に失格でしょう。憐れみ深い救い主イエス・キリストに委ねていくほかありません。

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