月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年2月26日(月)

イザヤ31-32章 何を支えにして生きるのか

災いだ、助けを求めてエジプトに下り
馬を支えとする者は。
彼らは戦車の数が多く
騎兵の数がおびただしいことを頼りとし
イスラエルの聖なる方を仰がず
主を尋ね求めようとしない。(イザヤ31:1)

 困難な状況に陥るとき、自分以外の何かに頼りたくなります。その辛い状況をすぐにでも改善してくれる大きな力に頼りたくなります。たとえすぐに状況が良くならなくても、そこでなお忍耐して生きることができるための支えが必要です。

 ユダの人びとはアッシリアの脅威を前にして、エジプトと同盟を結ぼうとしました。エジプトは、多くの馬や戦車、また騎兵を持っていました。それらのものが、自分たちを敵から守り、支えてくれると信じました。目に見える力を自分たちの支えとし、今、置かれている状況を切り抜けようとしたのです。

 しかし、神は、そのことをよしとされませんでした。なぜなら、ユダの人びとは神に頼ろうとしなかったからです。神は、「エジプト人は人であって、神ではない」と言われました(31章3節)。どれだけ大きな軍隊や力を持っていても、神の前では、それらはごく小さな存在に過ぎません。神の代わりをしてくれるものなど何もないのです。

 きょうも、神に立ち帰り、神だけが成し得る業に目を留めて、生きていきたいのです。

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