月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年3月5日(月)

ガラテヤ2章 結果をだせなくても

人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。(ガラテヤ2:16)

 激しい競争社会です。結果を出しなさいと迫られます。落ちこぼれの情けない思いになることもあります。行いによって義とされる世界では、成果をあげればあなたは正しい、それでよいと評価されます。頑張り屋さんは評価されるかもしれません。

 けれども、それだけでは息詰まる競争でいつ振り落とされるかもしれない不安の人生です。例えば、ザアカイは徴税人となり、お金で見返そうとしましたが、空しい人生でした。そのような中でイエス・キリストに近づきました。その彼を主はアブラハムの子と呼んでくださいました(ルカ19章9節)。小さな貧しい信仰ですが、その信仰によって義と認められたのです。神の子イエス・キリストが、義と認めてくださったのです。神に対しても、人に対しても行いによって結果を出せなくても、信仰によって神に認められます。その信仰さえ神からいただいたものです。

 福音はこの世の尺度ではかれません。義とされた人は、福音の恵みに生きる者へと神によって変えられた人です。私たちは、神が前もって準備してくださった善い業を行って歩みます(エフェ2章10節)。

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