月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年3月7日(水)

ガラテヤ4章 神から知られているのに

しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。(ガラテヤ4:9)

 「かつて」の私たちは神々の奴隷でした。高度な科学文明の時代ですが、世を支配する諸霊に縛られ、世間体や占いやしきたりに縛られ、時にはびくびくするような生活をしていました。しかし「いま」は神を知っています。

 それなのに逆戻りする誘惑があります。奴隷であったエジプトの方がよかったと、かつて神の民は不平を言い始めたことがあります(出16章3節等)。神の子の自由に生きることを慕い求めなかった歴史はよそ事ではありません。自由の子として生きるために何よりも覚えたいのです。私たちが神を知っている以上に、神から知られている、ということを。

 御子の誕生(4節)は、私たちの歴史を「かつて」と「いま」に分けるためでした。御子は、罪の力、掟の力の虜となっていた私たちを、救い出すために、身代わりになって十字架にかかってくださいました。私たちが、求めるよりも先に、神が私たちを愛しておられたのです。天地創造の前にキリストにおいて神に選ばれていたのです(エフェ1章4節)。この神を愛する人は、神に知られている人です(1コリ8章3節)。

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