月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年4月28日(土)

ユダ 神への生活を支えるもの

イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダから、父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たちへ。(ユダ1)

 ヤコブの兄弟であるユダは、「わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたい」と、愛する教会に手紙をしたためました。それは、「主であるイエス・キリストを否定している」人たちがいるからです(4節)。その否定は、「神の恵みをみだらな楽しみに変え」、「みだらな行いにふけ」る生活に現れていました(4、7節)。

 この人たちにとって、神の言葉と自分の生活とは、離ればなれのものでした。生活の中心から、「主であるイエス・キリスト」が見失われてしまっていたのです。主イエスへの畏れがなくなり、むしろ人にこびへつらうような言葉が教会を支配していました(16節)。

 言葉を裏付けるのは、その人の生活です。しかし、私たちも時に言葉と生活が離れてしまうことがあります。だからこそ、神の言葉と生活が完全に一致したお方である主イエスに、何度も立ち帰る必要があるのです。

 ユダは教会に勧めます。「神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい」(21節)。

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