月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年6月 7日(木)

イザヤ63章 神を求める祈り

主は言われた
彼らはわたしの民、偽りのない子らである、と。
そして主は彼らの救い主となられた。
彼らの苦難を常に御自分の苦難とし
御前に仕える御使いによって彼らを救い
愛と憐れみをもって彼らを贖い
昔から常に
彼らを負い、彼らを担ってくださった。(イザヤ63:8-9)

 63章7節からイザヤ書の締めくくりの部分が始まります。64章までは神に嘆き訴える共同体の祈りであると言うことができます。再び現実に引き戻され、数多くの恵みと慈しみを与えてくださった力強い神が、自分たちから遠く感じると訴えています。かつての日々のように力強く御業を行っていただきたいと祈るのです。

 けれども、祈りの底流には喜びと賛美があふれています。それゆえに、ここで目に留まるのは、何と言っても9節でしょう。「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし」と言われているからです。神は高く天におられて、私たちの苦しみや悩みを理解されないお方ではありません。むしろ、それらを御自分の苦しみとし、救うために手を尽くされます。

 その神の愛が、キリストにおいて示されています。私たちのところまで降りて来てくださって、苦しみまで共にしてくださり、救いを実現なさいました。この事実を前にするとき、たとえ嘆きや悲しみがあったとしても、神を賛美することができるはずです。

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