月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年3月11日(月)

ヨハネ11章 イエスは涙を流された

イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)

 「イエスは涙を流された」。これは、聖書の中で一番短い節だと言われています。しかし、心にしみる言葉です。

 主イエスは、愛する者たちのことを思い、涙を流されるお方です。人にとって死がどれほど悲しいもの、いまいましいものか。主イエスは、人間として人の世に住まわれつつ、そのことを体験されました。

 今も人を最も悲しませるものは「死」かもしれません。愛する者同士を、どうすることもできない力で引き離す、そういう非情な、絶対的な力を「死」は持っています。そういう死の前に、人は実に無力な存在です。そういう人間の悲しみ、弱さ、もろさを、主イエスは、ラザロの死を目の前に、愛する者たちと共に味わわれました。だから「イエスは涙を流された」のです。

 しかし、同じ主イエスは、死後4日たち、もはや腐乱して臭くなっている、遺体となったラザロに向かって大声で叫ばれました。「ラザロ、出て来なさい」。

 死に飲み込まれたラザロは、復活の主の御力によって生き返らされました。死を命に、悲しみを喜びに変える御力を我らの主イエスはお持ちです。

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