月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年4月23日(火)

哀歌4章 主の憤りは極まり

主の憤りは極まり
主は燃える怒りを注がれた。
シオンに火は燃え上がり
都の礎までもなめ尽くした。
わたしたちを苦しめる敵が
エルサレムの城門から入るなどと
地上の王の誰が
この世に住む誰が、信じえたであろう。(哀歌4:11-12)

 バビロン捕囚で受けた神からの呪いは激しく、想像を絶するものがありました。「山犬ですら乳を与えて子を養うというのに、わが民の娘は残酷になり、荒れ野の駝鳥のようにふるまう」(3節)。「憐れみ深い女の手が自分の子供を煮炊きした。わたしの民の娘が打ち砕かれた日、それを自分の食糧としたのだ」(10節)。

 しかし、これは、「もし主の戒めを守らないならば」と、あらかじめ宣告されていたことでした。「あなたは敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえに、あなたの神、主が与えられた、あなたの身から生まれた子、息子、娘らの肉をさえ食べるようになる」(申28章53節)。

 信じがたい悲しいことですが、子どもを虐待して飢え死にさせたり、暴力をふるって死なせたりすることは、現代の私たちにも起こっています。人類の罪深さがもたらす悲惨さは、日本社会にも表れています。

 そこで、4章最後の言葉が、救いへの希望となります。「おとめシオンよ、悪事の赦される時が来る。再び捕囚となることはない」(22節)。

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