月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年6月17日(月)

詩編58編 不義を裁く神の眼差しは

神に従う人はこの報復を見て喜び
神に逆らう者の血で足を洗うであろう。
人は言う。
「神に従う人は必ず実を結ぶ。
神はいます。
神はこの地を裁かれる。」(詩編58:11-12)

 この詩人は、この世の裁きの不正さを告発します。不正な者たちは、たとえ民がどれほど叫んでも、耳の聞こえないコブラのように民の声には耳を貸すことなく、自分の思いのままに振る舞い、自分の意に反する者には、毒蛇のように襲いかかって、叩きのめして、自分ばかりを立派に立たせていきます。

 しかし、不正はやがて神によって裁かれ、葬られます。神の秩序、神の御心が歴史を支配していることを人びとは知るようになります。だから、不正な者に対する裁きは神に委ね、私たちは神の前に謙遜に正しく生きていくことが大事である、とこの詩編は教えています。

 にもかかわらず、エゼキエル書には「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、…彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか」とあります(18章23節)。主イエスは、「わたしが来たのは…罪人を招くためである」と言われます。新約に生きる私たちは自らも罪人であることと、神が十字架に示された愛を覚え、罪人が裁かれるより、神に立ち帰るよう、祈る者とされたいと強く願います。

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