月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年7月12日(金)

詩編68編 神の行進が見えた

  

神よ、あなたの行進が見える。
わたしの神、わたしの王は聖所に行進される。
歌い手を先頭に、続いて楽を奏する者
おとめらの中には太鼓を打つ者。
聖歌隊によって神をたたえよ
イスラエルの源からの主を。(詩編68:25-27)

 「イスラエルの源」とは「民族の源泉」、「国家の起源」という意味です。神がアブラハムを選ばれた大昔から、イスラエルの共同体に十戒を授けられたモーセ時代を経て、エルサレムに国家の基礎を据えられたダビデ時代に至るまで、主は「わたしはある」、「わたしは共にいる」と語りかけ、ご自分の民を救われました。

 この方をたたえることが礼拝の目的です。「聖歌隊」には「大勢の礼拝に集う会衆」という意味もあります。聖歌隊と礼拝会衆が一つになって、主なる神を賛美するのです。娘らはタンバリンを打ち鳴らし、竪琴を奏でる者らがその前を進み、賛美を歌う人びとが先頭を行く。

 それを見て詩人は歌います。「神よ、あなたの行進が見える。わたしの神、わたしの王は聖所に行進される」と。「行進」とは「行列をなして前進する」という意味です。神殿へ入ってゆく会衆の行列と共に、目に見えない霊なる神の前進を「しかと見た」のです。礼拝共同体は、自分たちの行列に、主なる神の臨在と、同行と、前進とを「確認した」のです。今も私たちと共に主が行進してくださっていることを覚えます。

Copyright (C) 2019 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.